2017年9月25日月曜日

アイカツ!紅林珠璃論稿のための覚え書き~紅林珠璃 考察まとめ~

 アイカツ!あかりGenerationと呼ばれる、102話から178話までの物語の登場人物・紅林珠璃についていずれ何かを述べるときのための覚え書きです。紅林珠璃についての先行研究リストとも言う。
 各記事タイトルの見出しが、元サイトへのリンクになっています。



~天秤氏「わかば色のルーフトップ」~

「ステージの大時計が零時五分前で止まっている理由 ――真っ赤な薔薇のシンデレラ (アイカツ!第110話考察)」

110話『情熱のサングリアロッサ』、紅林珠璃がSangria Rosaのトップデザイナー・エンシエロ篤のプレミアムレアドレスを手に入れるために奮闘する回。Passion Flowerのステージの大時計がなぜ零時五分前で止まっているのか、を軸に、楽曲、ドレス(ローズガラスプリンセスコーデ)と紅林珠璃について考察したもの。
 シンデレラのストーリー(いわゆる「シンデレラストーリー」では断じてなく)をベースにしながら、Passion Flowerの「胸がときめくリズム/魔法かけてくターン/私が目覚めていく」「朝まで踊ってたい」という歌詞、そしてローズガラスプリンセスコーデは、シンデレラのストーリーを乗り越えるものになっている。実はこの「乗り越える」というテーマは多くのアイドル・ドレス・楽曲に通じます。(アイドル・ドレス・楽曲が一体となって一つのテーマを提示し、このテーマは元の物語を乗り越えるものである、という構造が、アイカツのロマンスドレス期には一般的なものです。)
 本編のストーリーは、胸の中の情熱の炎が消えかけてしまった人を、再び燃え上がらせるというものでした。そして、紅林珠璃演ずる「アイカツ先生」がサムスギ校長を元気付ける話と、現実でエンシエロを珠璃が燃え上がらせることは重ね合わされています。
 この、「情熱の炎が消えかけてしまっている状態」のアナロジー(比喩)が、「零時五分前=魔法が解ける寸前のシンデレラ」として表現されている。しかし、このまあなんとも好戦的なシンデレラは、零時五分前だろうと朝まで踊っちゃるぞ、とポーズを決める。零時で魔法が解けることなんか知ったこっちゃないぜと踊るシンデレラの姿は、何かを諦めかけた人々の心を鼓舞するでしょう。

「結論として、『Passion flower』は、「あなたの炎は、まだ消えていない」という、
再燃への強烈なメッセージを届ける珠璃とサングリアロッサの歌であるからこそ、
シンデレラの魔法が消えかけている零時直前のステージで歌っていたのです。
この演出が実際のシンデレラとの対比を浮き彫りにし、
結果として情熱的なテーマを熾烈に示しています。」


 そしてまた、話を先取りすれば、このシンデレラをベースにしたローズガラスプリンセスコーデと、零時五分前のモチーフは、175話の伏線でもあります。 


人魚姫のドレスが登場した理由 ――気持ちを「伝える」人魚姫 (『アイカツ!』第120話考察)

120話『スター☆バレンタイン』は、元アイドルにして今はスターライト学園のドーナツお兄さんである四ツ葉春さんを軸に、アイドルがファンにありがとうを伝える話でした。この120話において、人魚姫をモチーフとしたドレス・楽曲が初披露となり、またあまり本編で活躍がなかったひなきと珠璃のステージが行われるのはなぜか、という論稿。

 人魚姫のストーリーは、王子様に想いを伝えられないまま泡と消える、というものでしたが、本編・楽曲は、「想いを伝え(られ)る」というものでした。アイドルはファンにありがとうを伝えられるし、Poppin' Bubblesの「私」は、「のぼる泡を見送る」つまり海中にいて沈みゆくところですが、しかし「思いを込めた」泡は「あなた」に「届く頃には弾ける」(思いが伝わることが示唆される)し、「私」自体も泡と消えてしまうことなく「会えるときを待っている」。

 そして、四ツ葉春は、過去にはアイドルとしてファンに応援され、今はアイドルではない生き方をしているのに、依然としてファンに応援されている。
「その中で特にフィーチャーされた「感謝」は、
春の「今は過去と違う形で活動しているのに、
依然応援してくれていることに対しての感謝」でした。」

 このファン付きの「過去」というバックボーンを持って活動しているメインキャラといえば、芸歴13年のひなきと、子役時代のある珠璃です。長く応援してくれるファンへのサンクスを伝える、という物語を背負うのにふさわしいのが、ひなきと珠璃だから、この二人がステージに立ったのだ。という論稿。

 この120話で扱われる人魚姫モチーフも、提示されるテーマにおいては乗り越えられています。

珠璃とひなきのユニットに見出せるテーマ ――二人の「新しい自分を志向する」という同質性 (アイカツ!第132話考察)

132話『灼熱の情熱ハラペーニョ!』結成回。ここでの問いは、「なぜステージの曲が120話と同じくPoppin' Bubblesなのか」と、「なぜ珠璃とひなきが組むのか」の二つ。

 ここでのPoppin' Bubblesのステージ演出は、120話のものとは少し異なる。珠璃とひなきのオーラが、120話では別々に現れていたのに、今回は一体のものとなっていて、これが二人の関係性の進展を表現している。
 

 ひなきと珠璃が組んだのは、お互いに「新しい自分を志向するアイドル」であるという点が似ているからである。
「この(筆者注:120話の)ように、芸能界における過去を持っていて、
そこから新しい自分を志向して活動していくという同質性を持った珠璃とひなきが、
「新しくて意外」なユニットを目指して結成したのが情熱ハラペーニョであったのです。
よって情熱ハラペーニョは、「新しい自分を志向すること」を、
ユニット活動の核となるテーマとして持ち続けていくのではないかと思います。


 そして、このひなきと珠璃が、二人とも「新しい自分を志向」する中で、どのような関係性を築いていくのか、というのは141話に続きます。


情熱ハラペーニョ二人の流儀 ――手を引き、手を引かれ、進んでいく (アイカツ!第141話考察)

141話『ホットスパイシー・ガールズ!』を分析しながら、情熱★ハラペーニョとはいかなるユニットであるのかを探る、という論稿です。まず、これまで何話かかけて四ツ葉春さんが試作を繰り返していたユニットドーナツ「ハラペーニョドーナツ」が完成を見た、ということは、すなわちユニットとしての情熱★ハラペーニョの完成(あるいは結節)のアナロジーであろう、という読解が提示されます。

「第141話が描いたのは、ひなきと珠璃がともに手を引き合って、
新しい領域へと進み出て行くイメージであったと思います。
つまり、一方で珠璃はその熱さや前向きさでひなきの手を引き、
ひなきを新しいところに踏み出させるのですが、
他方でひなきは経験に裏打ちされたアイデアで珠璃の手を引いて、
珠璃に新しいところに踏み出させるというのが、
情熱ハラペーニョというユニットの在り方であったのではないでしょうか。


 この部分が優れているので、筆者が書くことは特にありません。本編においても、またステージ演出においても、ひなきと珠璃はお互いにお互いの手を取り、引き、引かれしながら進んでゆきますね。


 ただ、情熱★ハラペーニョというユニット名は、名前だけ聞くとほとんど珠璃の要素しか無いように感じますが、情熱★ハラペーニョにおいて「ひなきらしさ」はどこにあるのか。この答えもまた141話で提示されている、と天秤氏は語ります。
「第132話はいわば、ユニットの「骨格」を決める段階と、
「色」を決める段階の二段階に分かれていると考えられます。
つまり、チョコかけポテチのような「新しく意外な」ユニットを目指すことを決めた後で、
ユニット名が示すとおり、「情熱的な」ユニットを目指すことを決めるのです。」


「けだし、こちら(筆者注:「新しく意外な」)がひなきらしいのです。」


 ユニット結成時から、「骨格」と「色」のそれぞれに、ひなきらしさと珠璃らしさがあいまっていたのですが、その内実がじっくりと描かれたのが141話ですね。ひなきと珠璃、甘さと辛さ、知識と情熱……2つのものが、「新しく意外で情熱的なユニット」というの(12月21日追記:「新しく意外で情熱的なユニット」という理念あるいは哲学あるいは目標)を軸に、実践を通じて統合されていく。この実践編が141話だ、という分析です。

アイドル・紅林珠璃の歩む道 ――薔薇はいつまでも咲き続けて (アイカツ!第174話考察)

174話『私のMove on now!』。この論稿についての要約は本ページの最後に回します。


 ~水音氏「マンガ☆ライフ」~

 『アイカツ!』紅林珠璃の描き方に見る「偉大な親を持つ」という事について

「二代目であること」を背負ったキャラも、「二代目であること」をテーマにした話も、紅林珠璃以前には存在しませんでした。親が芸能の人、という点で言えば、星宮りんごといちご、北大路一家と北大路さくらは確かにそうなのですが、いちごの母親がミヤであるというのはアイカツ世界においてほとんど知られておらず、またさくらも家族にアイドルがいるわけではありませんから、率直に比較されることはありません。
 というわけで、初の「二代目」キャラである紅林珠璃の特徴を分析すると、「二代目であることの重圧」を背負っていると同時に、その「二代目であること」がまた女優を目指す強力な動機づけにもなっていることが分かります。
 幼い珠璃は母親と一緒に仕事をするのが楽しい、とばかり思っていましたが、ある時真剣にレッスンに打ち込む母親を見て、生半可な気持ちで女優業をしていてはいけない、と感じ、引退して女優になるためのレッスンに打ち込むようになります。
「「役者としての母」「紅林珠璃の親としての母」。
どちらも母親の姿で、そして母親を尊敬しているからこそ、彼女は「漠然とした理由で入っていい世界ではない」ということを知り、だからこそ「一人前の役者」としてその世界に入る夢を持つ。」

 この、母親の存在が重圧でありながら動機づけにもなっている、という点が、紅林珠璃の独自性だ、というわけですね。そして、その紅林珠璃が背負う物語は、109話のドラマオーディションによってひとつの結節を迎えます。自らの力でアイカツ先生役を勝ち取り(=周りから認められ)、やや親ばか気味な母親にして大女優である紅林可憐からも「(娘としての)珠璃」ではなく、「(女優としての)紅林珠璃さん」として認められます。


~たな氏「ありがとうはヤバイ」~

アイカツ楽曲考察『Chica×Chica』編

 これはストーリーではなく楽曲の分析です。
 『千夜一夜物語』(アラビアンナイト)をベースにしたこのChica×Chicaのテーマはなんなのか。
 Chica、つまり女の子!あるいはお嬢さん。
 また、「+」ではなく「×」によって女の子同士が結び付けられているのは、組み合わせが一通りでないことを表している。
"いろんな人といろいろな組み合わせで出逢い、切磋琢磨することで
自分の夢もまた拡がっていき、叶えることもできるだろう"
 これがChica×Chicaのメッセージであろう、というたな氏のまとめは、然りの一言です。

~鶴氏「君は光るダイヤモンド」~ 

【アイカツ!】紅林珠璃とChica×Chica【SLQC考察】

  こちらは、たな氏の論稿を援用しながら、スターライトクイーンカップ(以下、SLQC)において紅林珠璃がChica×Chicaをソロで歌ったことの意味を考察するものです。
 Chica×Chicaは、そのテーマ自体が、複数人での相乗効果を提示したものですし、劇中においても情熱★ハラペーニョとバニラチリペッパーによって歌われてきた曲です。紅林珠璃はソロ曲であるPassion Flowerを持っていますし、テーマから考えても、Chica×Chicaをソロで歌うのはふさわしくないように思えます。なのに、なぜ紅林珠璃は、ソロでステージに立つこのSLQCにおいて、Chica×Chicaを選択したのでしょうか。

 それを探るために鶴氏はChica×Chicaの歌詞を引きながら分析してゆきます。、
『太陽のリズム Dancing,dancing 歌ってØre!』
 →太陽といえば情ハラのモチーフ
『ちがう足音 重なり合ったらシンパシー』
 →ふぞろいのカラーが重なり合う=バチペの活動(筆者としては、ここはバチペに限らず、珠璃がユニットを組みたいと思うようになった時点の暗示とするほうがスマートな気がします。が、まあこんなのは後知恵ですね。)
『好きと嫌いは 誰もが持っている感情』
 →Poppin' Bubblesの“一番言いたい簡単な二文字”や“憎まれ口”を思わせる
『世界はいつだって十人十色 回る万華鏡』
→これもまたふぞろいのカラーたちの翻案

 このように、Chica×Chicaの歌詞はこれまでの紅林珠璃のアイカツのあゆみを示唆している、と鶴氏は指摘します。そして109話を振り返れば、紅林珠璃は「私を見て」もらうために孤独を選びツンケンしていましたが、あかりちゃんの働きかけによって「孤独な道を歩むことだけが”私を見てもらう”術ではないことに気付かされました」。それ以降の珠璃はあかりたち三人とともに行動することが増え、互いに働きかけたり助け合ったり、あるいはDancing Divaの活動に触発されてユニットを組みたがったりしています。

 これらの紅林珠璃のアイカツのあゆみを踏まえて鶴氏は、
「誰かと一緒にアイカツをすることを大切に思う珠璃にとって、経験した二つのユニット両方で大舞台で披露したChica×Chicaという曲はユニット活動に関わる沢山の思いが詰まったかけがえのないものになっていたはずです。今までのユニット活動を通して成長した”紅林珠璃”を「見て」もらうに相応しいと彼女は判断してこの曲を選んだのでしょう。」
と結論づけます。

~再び、天秤氏「わかば色のルーフトップ」~

アイドル・紅林珠璃の歩む道 ――薔薇はいつまでも咲き続けて (アイカツ!第174話考察)

紅林珠璃のアイカツのあゆみを振り返る論稿。174話『私のMove on now!』はエモの塊なので、それについての論稿もまたエモの塊にならざるを得ません。

 まずは、Chica×Chicaという選曲と珠璃の背負っていたものを、174話の珠璃とリサのやり取りから想起します。ここでは珠璃がリサを先達として引っ張っているのですが、この会話は、珠璃もまたかつてあかりによって引っ張られたことを思い起こさせます。「スターライト学園に来て、大きな自信をもらったんだ。紅林可憐の娘じゃない、女優・紅林珠璃として」と珠璃が語れるようになったのは、109話でのあかりちゃんの声掛けがきっかけになっていますから。
 珠璃はそれを自覚しているからこそ、もっとも紅林珠璃らしい曲としてChica×Chicaを選んだのでしょう。
 
 次にコーデの考察です。セニョリータシェヘラコーデは、『千夜一夜物語』とその語り手たるシェヘラザードをベースにしていますが、それにどのような意味が込められているのか。これはシンデレラをベースにしたローズガラスプリンセスコーデとPassion Flowerのステージが背負っていたテーマを、一歩進めたものだと天秤氏は言います。
 千夜一夜物語の背景を一応ここでも述べます。女性不信になってしまった王が毎晩女性を夜這いさせては夜が明けると殺していたために、国が傾きつつある。そこに立ち上がったシェヘラザードが、王様に夜おとぎ話を聞かせることで、続きが気になる王様はシェヘラザードを殺せず、お話が千一夜目に終わったときには、王の女性不信も治っていた、という筋です。
 110話で珠璃シンデレラは、零時五分前でも魔法が解けるはずの運命に抗って「朝まで踊ってたい」と表明しましたが、この174話で紅林珠璃は、一夜を越すどころか一夜を千一夜にしてしまった珠璃シェヘラザードとして結実したのです。一年以上かけてアンサーが出された、ということですね。

 最後に、なぜ他のメインキャラはもうおとぎ話をベースにした「ロマンスストーリー」シリーズを着ていないのに、紅林珠璃だけが「ロマンスストーリー」シリーズのドレスを着ているのかについてです。
 結論から言うと、「ロマンスストーリー」を着続けていることこそが“紅林珠璃らしさ”を強調している、ということになります。つまり、おとぎ話をベースにしたドレスを着てステージに立つということは、必然的に自分ではない誰か(=物語の主人公)を演ずることに似ます。4期ではスターライトクイーンカップに向けて、アイドル一人ひとりが自分らしいコーデを身にまとっていきますが、それでも、役者である紅林珠璃にとっては、その「演じる」という役割を引き受けることが自分らしさになるわけですね。
 そして、lucky train!で「シンデレラだからパーティの終わり」と歌われたように、もはやみんなが演じることをやめてもなお、かつてシンデレラとして踊り続けたい、燃え続けたいと願った紅林珠璃は、まだシェヘラザードとしてステージに立つのです。

「結論として、新しいロマンスストーリーのドレスを着て臨んだ珠璃のステージは、
燃え尽きることなく燃え続け、かつ、
それを特に演じることの中で表現するアイドルとしての珠璃を、
極めて鮮やかな対照性でもって提示していたと考えることができると思います。」


 こうして、109話に始まった紅林珠璃の物語は、110話と174話を大きな結節として描かれ、177話のコメントによって完結するのです。
 ですがこれは終わりではありませんね。薔薇のつぼみはまた芽吹くのですから。


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 以上、紅林珠璃についての優れた考察を取り挙げました。
 いやぁ~、紅林珠璃ってホンットいいもんですね~。
 この他にも紅林珠璃関連の論稿があれば教えてください。

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